大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2361号 判決

控訴人 三元電子工業株式会社 外一名

被控訴人 大森兵太郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

一、当事者双方の申立

控訴人等代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二、当事者双方の事実上の主張〈省略〉

三、証拠関係〈省略〉

理由

一、控訴人三元電子工業株式会社(その代表取締役は控訴人安藤元雄である)は電気通信機、トランジスターラジオ、真空管ラジオの製造、販売並びに輸出入等を目的とする会社であるが昭和三四年頃は主として訴外日本電気株式会社からトランジスターラジオの組立製作の下請をしていたこと、被控訴人は昭和三四年七月頃控訴会社から工場を賃借してトランジスターラジオの組立製作の下請をする約束で前後三回に亘り控訴会社に対し合計金八五万円を貸与したことついで同年八月二日頃被控訴人と控訴会社は口頭で、控訴会社は被控訴人に対し渋谷区松濤町一番地所在木造平家建工場一棟建坪約二〇坪を貸与する、被控訴人は右工場の賃料一か月金二万五、〇〇〇円を控訴会社に支払う、被控訴人は控訴会社から部品の供給及び注文を受けてトランジスターラジオの組立製作を行う、その組立の工賃は一台につき金二〇〇円とする、さきに被控訴人が控訴会社に貸与した八五万円は本件工場等の貸与並びに控訴人供給の右部分品等に関し被控訴人が控訴会社に被らせることのあるべき一切の損害の保証金に充てる、旨の契約を締結したこと、右口頭契約を締結した頃被控訴人は控訴会社から約定にかかる本件工場の引渡を受けたこと、次いで被控訴人と控訴会社は右口頭契約の要点を成文化することにし同年九月一日付で契約書(甲第一号証)を作成したがその中で当事者は任意に本契約を解除することができ、被控訴人から控訴会社に預けられた保証金八五万円は工場の返還引渡と引換えに返還すべきことを特約したこと、控訴人安藤元雄は右契約による控訴会社の債務につき連帯保証をなしたこと、被控訴人は控訴会社の注文により同年八月二日より同年一〇月八日までの間にトランジスターラジオ七〇〇台を組立て製作して控訴会社に引渡したがその工賃合計金一四万円は未だ被控訴人に支払われていないこと、ところが同年一〇月八日控訴会社と被控訴人は合意の上本契約を解除したこと、右解除後被控訴人において本件工場を、控訴会社において前記保証金八五万円をそれぞれ相手方に返還しないうち同三五年二月七日午後一一時頃原因不明の出火により本件工場が焼失したことは当事者間に争いがない。

二、被控訴人は、契約解除後いつでも本件工場を返還できるように準備し自己の債務弁済の提供をしながら保証金の返還を求めたが控訴会社等は言を左右にしたり猶予を求めたりしてその債務を履行しなかつたものである、と主張するのに対し控訴人等は、被控訴人は控訴会社の請求にも拘らず本件工場を不法に占拠して使用を継続していたものである旨主張し互に相手方に債務不履行の責任があるとして争う。

よつて判断するに控訴人安藤元雄の供述によれば「訴外石田松一郎が金を出してくれることになつていたのでいつでも金をもつていける用意をしてあつた。それで、被控訴人に対して何度も工場を明渡してくれれば金を返すと云つていた。」というのであるが、証人石田松一郎の証言によると、安藤と石田の間では石田が一〇〇万円を出すならこれと引換えに控訴会社が本件工場を貸すという程度の話ができていたにすぎず石田において一〇〇万円を出捐することが確定していたわけではないこと、然も被控訴人の工場明渡と控訴会社及び控訴人安藤の保証金返還は前示のとおり同時履行の関係に立つものであるから控訴会社が被控訴人に対し工場明渡の先給付を求めても何ら付遅滞の効力を生ぜしむるものではないというべきところ、かえつて証人世木茂の証言及び被控訴人の供述を綜合すると、本件契約解除後被控訴人は何時にても工場を返還できるよう準備した上再三安藤に対し右の旨を告げ保証金八五万円の返還を要求したが同人は言を左右にしてこれに応じなかつたことが認められる。従つて被控訴人が工場引渡をしなかつたのは何等履行遅滞の責なく却つて控訴会社及び控訴人安藤の責任であるといわなければならない。

三、そこで進んで出火による工場焼失と当事者双方の債務との関係について判断する。被控訴人の此点についての主張は契約解除による当事者双方の負担する原状回復義務についても民法五三六条二項の危険負担の原則の適用のあることを前提とし、本件工場の焼失従つて被控訴人の工場返還義務が履行不能となつたのに拘らずなほ保証金の返還請求を失はないというに在る。

思うに民法第五四〇条一項、第五四五条一項の規定によつて各契約当事者がそれぞれ相手方に対して負担する原状回復義務は形成権たる解除権の行使によつて生ずる特別な法定の債務関係(不当利得返還債務の対立)であつて、決して解除によつて給付対反対給付の関係を内容とする新たな双務契約関係が生ずるのではない。ただ各当事者の負担する原状回復義務相互の間に同時履行の抗弁の規定を準用(民法五四六条)したのはそれが公平に適するとしたからである。そして相互の原状回復義務が双務契約でないこととこれを前提として民法五四六条が特に双務契約の効力のうち同時履行に関する同法五三三条のみを準用し、他方同法五四八条第二項の規定のあること等を考へると、解除の結果生ずる相互の原状回復義務については、双務契約について規定する民法五三六条の危険負担の原則はその適用のないことは勿論準用も亦ないものと解するを相当とする。そして以上のことは当事者が合意により双務契約を解除して相手方に対し原状を回復することを約した場合にも妥当する。以上の如くであるから被控訴人が民法第五三六条二項を云々するのは法律論として正しいとは言へないが、これは、合意解除を原因として原状回復を求める被控訴人の請求自体には何等影響なしと謂うべきである。

よつて被控訴人主張の保証金返還請求権の存否につき案ずるに、本件工場が原因不明の出火により昭和三五年二月七日焼失したことは前認定のとおりであり、世木茂の証言、控訴人及び被控訴人の各供述を綜合すると同三四年一二月頃より控訴人安藤が関係するピース電気株式会社が本件工場の半分位を使用していていずれの使用個所から出火したか、またその出火の場所も判然としないことが認められ(出火原因の不明であることの争のないことは前記の通りである)且つ被控訴人の本件工場の占有の適法なることは前認定のとおりであるから、右出火は被控訴人の故意又は過失乃至は善良な管理者の注意義務の懈怠により起つたものとは認め難い。他に右焼失が被控訴人の責に帰すと認めるに足る資料は何等存在しない。以上の通りであるから被控訴人の控訴会社に対する工場返還債務は右工場の焼失によりその目的物を失い消滅したものと認むべく、従つて控訴会社の有する同時履行の抗弁権は右により当然喪失し、控訴会社は債務者として、控訴人安藤は連帯保証人として夫々被控訴人の請求により保証金八五万円を返還しなければならないものというべきである。

四、次ぎに被控訴人の加工賃一四万円の支払請求について判断するに、被控訴人が控訴会社の注文によりトランジスターラジオ七〇〇台を組立製作して控訴会社に引渡したが控訴会社はその代金一四万円を被控訴人に支払つていないことは前示のとおり当事者間に争いがない。右事実によれば控訴会社は被控訴人に対し未払加工賃金一四万円を支払う義務がある。

五、控訴会社の相殺の抗弁について、

(一)  控訴会社は第一次的に本件工場焼失により被控訴人に対して取得した損害賠償請求権をもつて被控訴人の右保証金返還債権及び工賃債権を対等額で相殺する、というのであるが、本件工場の焼失は前認定のとおり被控訴人の責に帰すべき事由によるものとは認められないから、右により控訴会社が被控訴人に対して損害賠償請求権を取得するに由なきものと云うべく、従つて控訴会社主張の損害額及び内容について判断を加えるまでもなく控訴会社のこの点に関する主張は失当として排斥を免がれない。

(二)  次ぎに控訴会社が予備的に主張する損害賠償請求権について判断する。

控訴会社は、被控訴人の組立てた七〇〇台のトランジスターラジオは控訴会社の指示した基礎作業を良心的に行わなかつたため甚だ粗悪であつて控訴会社で手直しして辛うじて納入することができた、然し右七〇〇台は控訴会社が訴外中野無線株式会社から組立注文を受けた五〇〇〇台の一部であつたところ、右の事情のため残りの注文は取消されまた新たに発注してもらうことはできなくなり当然得べかりし利益を失つた、と主張する。そして控訴人安藤の供述には右に添う部分があるけれども証人世木茂及び被控訴人本人の供述によれば本件工場の賃貸借契約にあたつて控訴会社は被控訴人の本件工場における事業につき技術指導をなすことを約したこと及びこの契約に従い控訴人安藤等が本件工場に来て被控訴人のトランジスターラジオ組立製作の技術指導をしていた事実が認められるので、この事実に徴するときは右控訴人安藤の供述はにわかに措信できず他に控訴会社主張の事実を認定するに足る証拠はない。

以上により控訴会社の被控訴人に対する反対債権は認められないから控訴会社の相殺の抗弁はすべてその理由なきに帰する。

六、果してそうだとすると控訴人三元電子工業株式会社は被控訴人に対し保証金八五万円及び未払工賃一四万円合計金九九万円を控訴人安藤元雄は被控訴人に対し控訴会社の連帯保証人として右保証金八五万円を、それぞれ本件訴状の送達された日の翌日であること記録上明らかな、昭和三五年六月一一日から支払済みに至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金を付加して支払はねばならない義務がある。

よつて被控訴人の請求は正当であるからこれを認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木忠一 谷口茂栄 安国種彦)

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